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2023年9月12日火曜日

英語全忘れからの海外講演

 なにせ周囲に英語話者がいないため、日常生活では、業務上の読みと書き(校正を受けないと表にだせない)しかしません。中学生レベルの会話すらできなくなってしまいました。

そして、ありがたいことに、2か月後に海外で30分程度の講演をすることになりました。

1)口演そのものは、30分のスクリプトとスライドを作ればなんとかなるだろう

2)質疑応答も、何聞かれても、知っていることをしゃべるまくる

これで、何とかするつもりです。

ただ、問題はそれじゃない時間です。いくつかあるレセプションとか、どうしよう。そもそも日本語でもそういう場面が苦手で挙動不審になるのに。

もはや、恥をかく練習をします。

本日、当直明け勤務明けだけれど、夜からオンライン英会話30分です。
これ、若いころ、留学準備で何か月かやったなあ。

時差でクッソ眠い状態で、英語使わなきゃいけない状況のシミュレーションと思いましょう。



2022年4月28日木曜日

<リアル学会>
 私、枡居は、それは万全の防護体制で沖縄に行きましたよ。
 会場では、早い者勝ちでN95が配られていました。持参のものより防御力が高そうだったので、その場で装備して会場をうろつきました。
 Webで聴講や、発表ができるのに、何で学会場に行くの?っていうの意見が、ある層では主流になりつつあるようです。
 まず、好みとか、向き不向きがあるので、現地派もweb派もお互いを尊重できるとよいですね。
 そのうえでですが、私自身は、抄録にもポスターにも文字として書かれていない、演者がポロっとおっしゃったこととか、その場の立ち話でちょろっと教えてもらったことが、研究のアイデアや、ずっと頭の隅にあった疑問解決のヒントになったりします。
 そういう収穫が二つ三つあるだけで、十分ペイすると思っています。
 それにしても、自身は一般演題発表ぐらいで、学会の仕事(長い講演とか)をやらなくてよい学術集会がなんと楽しいことか。
「中の人」でない学会への参加を大事にしたいです。

2021年12月17日金曜日

 re-JB-POT!①

麻酔科医によっては大事な、某心臓系の資格を維持するのに必要な、某エコー試験。後者の効力は10年で切れてしまいます。

わたくし枡居は、とっくに切れていました。

前者の資格を維持するだけなら、レポート等で受けずに済ます方法もあるのですが、ここはあえて受験しました。

コロナにおびえながら向かった都会の会場。

周りを見渡すと、受験生は、やはり若々しい。なにせ麻酔科医になって、だいたい2-6年目ぐらいの先生方が、受ける試験です。

私は自慢じゃありませんが、20世紀に医者になってますからね。

この場違いな雰囲気、記憶があります。

10年以上前、在米中、すでにおっさんだったのですが、なぜかロサンゼルスで英検を受験可能なことを知り、のこのこと向かったことがありました。

そしたら、周囲が、どうみても小学校5年生ぐらいの小児科たちですよ。それもたくさん。駐在員のご子息のようです。保護者によると、英検1級は、帰国後日本国内の推薦入試なんかで破壊力があるらしいのです。

そこで理解したのは、英検1級というのは内容的に、日本に置き換えれば「小学校高学年の現代文試験」なんだな、ということでした…。
ということは、あの分けわからんボキャブラリー問題は、日本語で言えば「女郎花」「落人」みたいな、ちょっと気の利いたガ、いやキッズであれば、知っている程度のものだったのか。
もちろんわたくし枡居は落ちましたよ。リトルトーキョーで食ったラーメンうまかった。




2020年11月25日水曜日

論文の価値の指標として、「どれだけ引用されたか」ってのがあります。医学論文は分野によりますが、麻酔科学であれば年間に数回引用されればそこそこ読まれている方になると思います。

「注目されやすい研究」とか、「それを引用すると、何かと都合の良い論文」で高いスコアをあげるのも、それは大事でしょう。

でも、私個人にとっては、「どこかの一人の研究者が、同じような文献が少ない中私の論文を見つけてくれて、自分の研究を見てくれませんかって連絡を取ってくれる」
だけで十分うれしいな(いっぱいの研究者からくるとそれは大変だろう。こねーけど)。

こんなんだからダメなんだよな。

2020年7月15日水曜日

年長者とであう話

ちょっと前に雑誌で連載していたお話を、単行本にしてもらいました。
これに関する仕事をやっている間は、自身のキャリアのこともあって多分人生で一番忙しくて、初めての実名の本なのに…もっと時間をかけられたら…自分で100点をつけられたら…と思いながら、でした。

思い出す話があります。

若いころ、ある大ベテランの作家(80代!)さんが医療小説を書くのにあたって、大々的にお手伝いをさせていただける幸運に恵まれました。
身の程知らずの物言いもいっぱいあったなあ~と恥ずかしく思うのです。
でも、先生は、私を穏やかに受け入れて下さり、そして、出版社の社長など、たくさんの人やこれからのお仕事を可能性を紹介してくれようとしました。
でも、私は当時「学位論文---医者が、大学病院でキャリアを積むには必須で、研究合わせて数年かけて書くもの)」なるもので、忙しかった(これは本当に頑張ってやってよかったです)。
もちろん、そのご年齢で精力的に活動されている先生のお顔を前に「時間がない」という言葉だけは、口にできませんでした。

でも、なんと言ったか思い出せないのです。
多分前向きな言葉を選んだと思います。
それでも、一瞬だけ見えた少し残念そうな先生の表情が、強く残っています。

コロナじ〇つ

まず、この話を書くにあたり、「私自身が経験したことや、私の住む県の話を元にしているのではない」のを前置きとさせていただきます。
コロナ患者は、その疾患の治療は最重要だが、その後のじ〇つ防止の手配を行った方がよさそうです。
医療従事者として、「必死に救った患者が、クソ田舎の周囲からの圧力でいのちを縮めてしまいました」ようなストーリーは、二重三重に報われないように思います。がんばって行っている「地域医療」の対象者が、耳を疑う形で加害者にもなっているのを知ると、ただただ残念です。
これからも、そんなことが起きてしまうのはなないかと危惧しています。

敏感すぎる話

立場の弱い人が必要以上に叱られている場にいると、自身も勝手に傷つくタイプの人だと自覚しています。

多分、それを最初に自覚したのは小学生の頃です。歯科医院で私のケアをしていた衛生士さんが、Drにむっちゃ怒られてました。なんか印象を取るためのペーストみたいなやつの管理が悪くてやり直しになったようだった。いまにしてみれば「大事なことなんだろうけど、私の前でそれでは、彼女の立場がないだろう」と言葉にできるのですが、そういう感情を強くもったのを覚えています。

コンビニで、20年前からここでやっているおっさんのオーナーが、たぶん本部から来た若造になんか言われています。「客に聞こえるように指導する」のもマニュアルにかいてあるのかはしりませぬ。 ただ、おっさんには悪いが、この緑色のコンビニはしばらく行かない。なんか傷つく。